馬鞍嶺と東嶺の間は、昔は西内谷と言われた。谷の中を錦渓という川が流れている。錦渓は大龍湫に源を発し、経行峡に入り筋竹谷に沿い清江に流れ込み海に注ぎ込む。謝霊運が当年、筋竹谷を観光したが、結局川を遡って山を入ることができず、大龍湫と出会うチャンスを見逃したまま帰ったそうである。そうでなければ、雁蕩山の開山の祖師が諾巨那という西洋の和尚ではなくなるのであろう。「雨が濛濛としている中、龍湫で宴を開く」というのが、なんという幸せであろう。たとえ黄果樹に住んでいても、大龍湫を見ないのも残念なことである。ほかの滝はただの滝で、大龍湫は龍である。風によっていろんな形を作り、200メートルほど流れ落ちてきて、これと比べものになる滝はほかにあるのであろうか。四時朝夕の陰晴や雨、雪など、いったいどれぐらいの姿があるかを、数え切れる人はいるのであろうか。だから大龍湫と生死の縁を結んだ諾巨那が終始言葉一つも残らず、無数の世俗の文人があれこれと饒舌した結果、清代の詩人江堤がこのような一文でまとめた。「龍湫を書きたいが着筆がなんと難しいぞ」 |