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顕勝門景勝区

崖が向かい合っているところが「門」と言う。雁蕩山に「門」と言われる観光スポットが10ヵ所余りもあり、最も美しいのは顕勝門。顕勝門の両側の崖が200メートルも聳えて、間隔が数メートルしかない。この近距離の向かい合いが目眩がするほど非常に強い効果を出している。張りには弛みが必要で、剛には柔が必要だと言われるように、麗しい弗頭渓と松坡渓は「弛み」と「柔」の役を担当している。まるで虞姫が項羽覇王の前で踊っているように、お互いに映っていて、無限な風光になっている。雁蕩山に来られる観光客がよく水がないので残念だと言っているが、それは彼らが景色のすばらしい水がほとんど山の北側にあるとは知らないからである。「門」と「渓」のほかに、同景勝区の西の行き止りにまた名前に「仙」という文字がついた一連の観光スポットがある。散水岩は雁蕩山の多数の滝と違う景色があり、南闔牌楼群が雁蕩山の数少ないの人文的景観で、顕勝門の「和弦」と言えよう.顕勝門景勝区を観光すれば、造物主の風景を配置する素晴らしさが分かる。

顕勝門は両側の崖が向かい合って出来た「石門」で、また「仙勝門」と呼ばれる。高さ200メートルぐらい、わずか10メートルの間隔で、昔から「天下第一門」の別名があり、雁蕩山の第一の「門」である。両側の崖が雲までそそり立ち、気勢が壮大である。門の中には、険しい崖が囲んでいる。下は渓流のせせらぎが聞こえ、観光者を奥深い境地につれてゆく。頭を挙げると、崖の一番上がほぼ一体になり、わずかの隙間が残り、「正午と夜更けでなければ、日や月が見えない」。

明の王綰が「石仏洞を見物する」でこう描いている。「見上げれば巨石が数丈高く、上端が近づきあい、僅か一尺の隙間あり、ぐれ数百歩ぐれい中へ歩け、まるで雲が漂う仙境の中に門が開いているように見えるから、顕勝門と曰く」。徐霞客は「雁蕩山観光後記」で、「道荒れて入るべからず」と書いて、当時の道の険しさが窺われる。

章綸墓は明の礼部尚書の章綸を埋葬した陵園で、楽清市の現存した規模が最も大きい墓の一つ。

陵園の中心は石だたみの小道で、その一部が18の方形の石と33の丸い石が垂直に立ち並んで敷いたもので、それぞれ十八層の地獄と三十三重の天を代表する。道の両側に古い木が空高く聳えて、外から内までは対称的に石虎、石羊、石馬、石人などが点在し、厳かな雰囲気が溢れている。

章綸墓は明憲宗成化二十三年(1497年)に建造され、1988年に「章忠義公章呉通譜詩碑」が新築され、1990年に石碑坊が再建。

章綸は1413年に生まれ、正統三年(1438年)に郷試に合格し、翌年の春の科挙試験で会魁(三番目)を勝ち取り、さらに殿試で二甲三番目で進士になり、正統六年に礼部侍郎に引き立てられ、「忠義の大臣」と誉められている。成化十二年(1476年)に、官職を辞め里帰りした。1483年死去。憲宗皇帝に南京礼部尚書に任命し、「恭毅」との贈り名を賜られた。「章恭毅公集」が現存。その墓の両側に「鉄骨泉下の土に埋める、石腸冢の中央に化す」との対聯があり、一代の忠臣の節操を表している。

場所:浙江省楽清市雁蕩山雁山路88号 郵便番号:325614
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